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喫茶店・カフェ事典

喫茶店・カフェ事典

日本にカフェは100年前から存在した?!カフェの成り立ちと変化の歴史をご紹介

「カフェ」と聞くと2000年(平成12年)頃に起こったカフェブームがまだ記憶に新しいですが、実は日本において、カフェは喫茶店よりも古い歴史を持ち、その時代によって呼ばれ方や意味も異なります。元々はコーヒーを意味するフランス語の「café」から名付けられたように、明治時代に初めてカフェを作った日本人が理想とした様式はやはりパリのカフェでした。パリでは、思想家や政治家、芸術家が集まり議論を交わす場であったように、日本でもそのような目的から始まります。こちらでは、その後100年あまりのときを経て現代のカフェの姿に変化していった歴史をご紹介します。

「カフェー」の開業

「カフェー」の開業

画家の松山省三氏が、東京美術学校の恩師から聞かされたパリのカフェに憧れ、1911年(明治44年)友人たちと共に銀座で開業したのが、日本初のカフェ「カフェー・プランタン」です。こちらでは、コーヒーや洋酒、料理もソーセージやグラタンなどの当時はまだ珍しい洋食を提供し、焼きサンドイッチなどの名物メニューも誕生しました。しかし、2階部分には会員制の部屋も設けられ、インテリ層が集まり文学活動や芸術活動の拠点として使われることが多く、庶民は入り難い雰囲気のカフェーでもありました。それに対し、カフェー・プランタンの5ヵ月後にオープンした「カフェー・ライオン」は規模が大きく一般客にも入りやすいことや、揃いの衣装を着た美しい女給が売りのカフェーでした。さらに、その4ヵ月後には「カフェーパウリスタ」が開店。こちらは創業者がブラジル移民事業に貢献したことから、ブラジル政府よりコーヒー豆の無償供与を受けることができたため、一般市民が低価格で本場のコーヒーを味わえる貴重な場として賑わいました。こうしたことから、現在の喫茶店やカフェに近い形態の店としてはカフェーパウリスタが原点であったとも言えるでしょう。

「カフェー」の減退

関東大震災後の1925年(大正14年)頃になるとさらにカフェーが急増し、その中には女給のサービスを主体として、売り出す店も多く見られるようになりました。この辺りからコーヒーや軽食を提供する「喫茶店」とアルコールと女給のサービスを提供する「カフェー」とが分けて呼称されるようになります。そして、時代は昭和に入り、1929年(昭和4年)から風俗色の強いカフェーは厳しい取り締まりの対象となり、以降急速に減退していきます。

再びのカフェブーム

規制を受け数が減少したカフェーに代わって、昭和に全盛期を迎えた喫茶店ブームが落ち着くと、1994年(平成6年)に本場パリを思わせるオープンカフェが流行します。この頃には「カフェ」という言葉は「コーヒーを提供する場」という本来の意味を取り戻し、2000年(平成12年)頃にはカフェブームが到来します。その当時、オープンしたお店の多くは欧米諸国を思わせる開放的で明るい雰囲気を持ち、趣向を凝らしたオリジナルのドリンクやフードメニューで人々を魅了しました。また、話題のカフェなどをリサーチし、その店を目的に出掛けることから「カフェ巡り」という言葉が生まれ、カフェ巡りが好きな人のための本や雑誌などが発行されるようになりました。さらにカフェで流れるボサノバなどのBGMは「カフェミュージック」と呼ばれ、オムニバスCDがいくつも発売されていることからも、カフェブームが与えた影響の大きさを感じることができます。そんなブームも現在は一旦の落ち着きを見せましたが、いまだにカフェを開業することに憧れる若者は多く、自分のカフェを持つために経営やカフェの知識を学ぶことができる専門学校やスクールには多くの生徒が押し寄せています。