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喫茶店・カフェ事典

喫茶店・カフェ事典

喫茶店が日本に登場してから130年!時代の移り変わりと共に歩んできた歴史をご紹介

現在の喫茶店やカフェの原点とも言える店が誕生してから、およそ130年のときが経ち、この憩いの場は今や私たちの生活に欠かせない空間となりました。文明開化と共に徐々に広まった喫茶文化は、知識人や学生たちの貴重な交流の場として受け入れられ、そこでいくつもの思想や社会運動が生まれたことでしょう。また、新たな文化を迎えることとなった戦後には、音楽系喫茶や漫画喫茶という今までにないジャンルの喫茶店が登場しました。こちらでは、時代の移り変わりと共に喫茶店が歩んできた歴史を振り返ってみましょう。

日本とコーヒー

日本とコーヒー

正式に日本がコーヒー豆の輸入を開始したのは1858年(安政5年)、鎖国が解かれ日米修好通商条約が結ばれてからのことでした。当時は限られた特権階級の人間しか口にすることはできず、一般の人々にコーヒーを飲む習慣が普及したのは、それから30年程あとの1888年(明治21年)のことです。この年に、東京の上野に日本で最初のコーヒーを提供する店「可否茶館」が開店しますが、興味深いことにこれは現在の複合カフェのような形態でビリヤードなどの娯楽品や書籍、シャワールームまで完備されていました。しかし、当時の日本の文化にはこの施設が受け入れられず、1892年(明治25年)には閉店することとなります。

「喫茶店」よりも早かった「カフェー」

現在のカフェブームから、「喫茶店」が古く「カフェ」が新しく思われがちですが、実はコーヒーを提供し人々の社交場となったのは、当時「カフェー」と呼ばれた施設で、「喫茶店」よりも普及の方が早かったのです。これは東京美術学校出身の「松山省三」氏が、パリのカフェのように画家達と芸術談義をできるような場所を作りたいと、友人たちと協力し開業したのが始まりでした。この店は「カフェー・プランタン」と名付けられ文化人が集まるサロンとして大いに発展し、その後は、銀座を中心に次々とカフェーの名の付いた店が開業します。

二分化する「カフェー」と「喫茶店」

1925年(大正14年)頃には、関東大震災の復興に伴いカフェーが急増し、同時に店の特徴と呼ばれ方も二分化していくこととなります。客の話し相手になる女給のサービスやアルコールを提供する「カフェー」の中には徐々にバーやキャバレーのような形態となる店も登場し、遂には1929年(昭和4年)に取締令が発布されます。以後、カフェーは激減し、それとは逆にコーヒーや軽食を提供する店は「喫茶店」または「純喫茶」と呼ばれ激増することとなりました。このように、盛り上がった喫茶文化の影響で1937年(昭和12年)には、コーヒー豆の輸入量もピークを迎えるものの、その翌年の1938年(昭和13年)には、戦時体制が敷かれ、輸入規制が始まります。

喫茶店の多様化と全盛期

第二次世界大戦が終結し、輸入が再開された1950年(昭和25年)以降には、再び庶民がコーヒーを求め喫茶店に通うようになります。戦後の混乱も徐々に落ち着いたこの頃からオーナーの趣味が強く反映された喫茶店が増え、中でも様々なジャンルの音楽で分けられた「音楽系喫茶」が人気を博しました。音楽喫茶の草分け的存在は1926年(昭和元年)のオープンから現在も営業を続ける「名曲喫茶ライオン」ですが、その他の名曲喫茶、歌声喫茶、ジャズ喫茶、シャンソン喫茶、ロック喫茶などは1950年代から1960年代にかけて全盛期を迎えます。さらに1970年代、独自の喫茶文化が発展していった名古屋市では漫画喫茶が誕生しました。

チェーン店の登場

このように、「喫茶店」とは人々と交流し、意見を交わして趣味を共有する場として栄えてきました。しかし、自宅で淹れられるコーヒー器具や音楽機器などが安価で手に入る時代になってからと言うもの、人々は喫茶店にまた別の役割を求めるようになります。そんな要望に応えるように、1980年(昭和55年)ドトールコーヒーショップ1号店が原宿にオープンしました。安価で手短にコーヒーブレイクが取れるセルフスタイルは忙しい日々を送る現代人の支持を集め、ドトールコーヒーはその後もチェーン店を増やし現在に至ります。それから、追い打ちをかけるように外資系チェーン店の参入、2000年(平成12年)頃のカフェブームから始まったさらなるカフェの多様化が進み、現在日本では元々の意味での喫茶店は少なくなりつつあります。しかし、昔から変わらず地域の人々に愛され、交流の場としての役割を果たしている喫茶店は今でも確かに存在しています。