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和食店[日本食]事典

和食店[日本食]事典

和食のルーツは遣唐使にあり!?奈良時代の食文化

奈良時代は、元明天皇が平城京へと都を移した710年(和銅3年)から、桓武天皇が平安京へと都をかえした794年(延暦13年)までの84年間とする説と、桓武天皇が長岡京へ都を移した784年(延暦3年)までの74年間とする説があります。奈良時代以前から続いた遣唐使によって、大陸の食文化が多数日本へと持ち込まれました。

中国から伝わった箸文化

中国から伝わった箸文化

日本で箸が使われ始めたのは7世紀初頭の頃と伝えられています。当時、遣唐使から様々な中国の食文化が持ち込まれ、そのひとつが箸と匙(かい)でした。これを境に、日本にも箸文化が根付くこととなりました。

単純なつくりと多様さを武器に、東アジアのスタンダードへ

箸文化が生まれたのは、言わずもがな中国です。中国に残る文献には、紀元前11世紀に当時の皇帝が象牙の箸をつくったという記述があり、日本に伝わる1,600年以上も前から箸が使われていたことが分かります。単純でありながらも多様な使い方ができる箸は、日本のみならずベトナムや韓国にも伝わり、東アジア共通の道具となりました。

仏教の発展と肉食禁止令のはじまり

奈良時代は、仏教が発展した時代としても知られています。朝廷は仏教を国の宗教と定め、布教を進めましたが、それに付随するかたちで登場した思想が「肉食の禁止」です。日本に仏教を伝えた中国にも肉食を禁じる向きはあったものの、あくまでも、一部の僧侶と信徒に限定したもの。ところが日本では天武天皇によってウシ、ウマ、サル、ニワトリの肉食が禁じられ、それが、庶民にも強要されることになりました。ここから始まった肉食禁止の令は、驚くことに、明治の初めまで続くことになります。

奈良時代に持ち込まれた乳製品

肉食の禁止により問題になったのは、タンパク質の確保です。そんな折、中国からは牛や羊の乳からできた「酥(そ)」「醍醐(だいご)」「酪(らく)」が伝えられ、肉に変わるタンパク源として貴族の間で流行しました。最上の味であることを「醍醐味」とあらわすように、これらの乳製品は当時の人々を魅了する食べ物だったようです。現代の食べ物に置き換えると、「酥」は甘みのない練乳、「酪」はバター、「醍醐」はチーズに近い食べ物だったのではないかと考えられています。

流行したあと、下火になり姿を消した

貴族の間で大ブームとなった乳製品でしたが、その後、肉食禁止令が厳しさを増すにつれ貴族は動物性食品も避けるようになり、また、中国への憧れの気持ちが薄れたこともあって、それらの乳製品はだんだんと忘れられていきました。

ソラマメの伝来は東大寺の開眼法要がきっかけ

752年(天平勝宝4年)、聖武天皇が国力を尽くして建立した東大寺の開眼法要のため、インドの僧である菩提僊那(ぼだいせんな)が日本に招かれました。菩提僊那は開眼法要ののち僧の行基などの出迎えを受けて大安寺に入り、その際、インドから持参したソラマメを行儀に手渡しました。行基はその豆を兵庫県に植え、日本の地にソラマメが根付くこととなりました。

縁起の良い豆として各地に広がった

「ソラマメ」の名は、豆のさやが上向きに付いていることに由来します。「空を向く豆」の意味から、「ソラマメ」と呼ばれるようになりました。