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和食店[日本食]事典

和食店[日本食]事典

和食の歴史は米の歴史

「和食の歴史」は「米の歴史」であるとも言い換えられる程に、日本人にとって米は重要な役割を果たしてきました。また、日本の食文化は、まわりを海に囲まれていることによる湿潤な気候と、約7割が山岳地帯である複雑な地形によって生み出される豊富な食材に支えられています。人々は、自然の恵みに感謝すると共に、それらを自分たちの生活へ存分に活用すべく、様々な調理法や食文化が誕生しました。

豊かな食糧事情が穏やかな社会を形成していた縄文文化

豊かな食糧事情が穏やかな社会を形成していた縄文文化

紀元前の時代を見てみると、世界では高度な文明が形成される地域があった一方で、日本では1万年にわたって「狩猟」「採集」によって生活を営む社会が続きました。これは、日本の安定した食糧事情によるものが大きく、穏やかな四季が繰り返されるという安定のもと、生まれた社会であると考えられています。文明が発達する要因は様々ありますが、例えば、乾燥地域などでは食糧を確保することが難しく、苛烈な自然環境と食糧難が要因となり文明が進んだ例は世界各地で見られます。

食文化に優劣はなし

以前までは、農耕社会と狩猟・採集による社会を比較し、農耕社会のほうが優れている文化であるという意見も見られましたが、近年では、それぞれに異なる社会という意味合い以上を持たず、序列化することはできないとの見方が一般的です。日本においては、縄文文化によって築かれた「旬の食材を慈しむ」考え方が、今日の食文化にも続いています。

コメ文化の始まり

日本列島に水田耕作が上陸したのは、紀元前5世紀頃のことです。朝鮮半島から日本へと移住した農耕民によって、まずは北九州へともちこまれました。そうした日本で始まった稲作は、その後わずか100年間で、瀬戸内海岸から近畿一帯、濃尾平野を超え、関東地域にまで広がりました。当初は、神様への献上用の穀物として普及し、人々の主食として日常的に食べられるようになりました。

粥からごはんへ

弥生時代になると米を貯蔵する技術が生み出され、収穫期以外でも米を食べることが可能となりました。当時、主に栽培されていたのは「赤米」と呼ばれる米で、アワやヒエなどの雑穀と共に煮た雑炊状のごはんが一般的でした。その後、奈良時代、平安時代を経て白米の「うるち米」の栽培が進み、釜でごはんを炊き上げる調理法が確立されました。しかし、この時代にそうしたごはんを食べていたのはごく一部の上流階級に限っており、庶民のあいだにも炊飯技術が浸透したのは、室町時代以降だと考えられています。

米文化から食文化へ

日本料理の特徴のひとつは、「米と、米に合わせるおかず」で構成されていることです。中国大陸から持ち込まれた食文化は多岐にわたりますが、それらひとつひとつを、米を主体とした食事に合う調理法へと発展させています。時代と共に、食材や調理方法は変化しているものの、米を主食とする文化は頑なに守り続けています。近年は、ユネスコ無形文化遺産に登録されたこともあり、世界において「和食」への注目が集まっていますが、先人たちによる食文化を継承しつつ、新たな文化を生み出していくことこそが「和食」の原点とも言えるかもしれません。