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うどん・そば屋の基本情報・知識

うどん・そば屋の基本情報・知識

うどん・そばが登場する落語/ホームメイト

日本の話芸である落語は、うどんやそばといった身近な食べ物を題材に、江戸時代の庶民の生活や知恵、ユーモアを生き生きと描き出してきました。これらの落語は、笑い話にとどまらず、当時の社会や人々の生活を鮮やかに映し出しています。うどんやそばが登場する落語の名作を紹介し、食べ物を巡る笑いと人間模様を紐解きます。

うどんが登場する落語

うどんが登場する落語

うどん屋

「うどん屋」は、江戸時代後期の夜の屋台を舞台にした落語です。当時、そばと比べて人気の低かったうどん売りの苦労を、ユーモアたっぷりに描いています。

主人公のうどん屋は、寒い夜に屋台を引いて商い中。最初に出会った酔っ払いは、仕立屋の娘の結婚話を延々と語り、水を所望しては絡んできて商売になりません。気を取り直し、「鍋焼きうどん」と声を張り上げながら屋台を引いていると、今度は女性から声がかかります。今度こそと喜んで振り返ると、子どもを寝かしつけたばかりだから静かにするよう注意される始末です。

その後、大店(おおだな:江戸時代の豪商)の木戸が開き、奉公人と思しき若い衆に「うどん屋さん」とかすれた細い声で呼ばれますが、注文は1杯のみ。うどん屋は、うまければ他の奉公人も交代で食べにくるかもしれないと期待して、熱々のうどんを差し出しました。若い衆は、うまそうに食べ終わると勘定を置き、またかすれた細い声で「うどん屋さん」と呼びます。うどん屋が追加注文かと喜び、小声で「へぇーい」と返事をすると、「お前さんも風邪を引いたのかい」と言われてしまうオチです。

この一言は、「うどん=風邪引きの食べ物」という江戸時代の価値観を背景にした皮肉。江戸時代、うどんは「メメズ(ミミズ)みたい」と言われ、そばよりも劣る存在と見られていました。特に風邪を引いたときに食べる、やわらかくて消化のいい食べ物がうどんだったのです。「うどん屋」は、追加注文を期待したうどん屋自身が風邪を引いていると勘違いされた、というのがオチ。一晩頑張って、ようやくいい流れかと思ったところでの肩透かしという、落語らしいサゲ(落語のオチ)と言えます。

時うどん

「時うどん」(ときうどん)は、1726年(享保11年)の笑話本「軽口初笑」(かるくちはつわらい)の「他人は喰うより」を原典とする古典落語(江戸時代から昭和時代初期に作られた落語)。江戸落語(江戸[現在の東京]で生まれた落語)の「時そば」の原型とされる上方落語(大阪や京都などの上方で生まれた落語)の演目です。

貧乏な兄貴分と弟分が、16文(現在の価値で520円程度)のうどんを食べようとしますが、持ち合わせは合計15文しかありません。兄貴分は知恵を働かせ、「ひとつ、2つ」と数えながら勘定を支払い、8つまできたところで「今何時か」と店主に尋ねます。店主が「9つ」(現在の深夜0時頃)と答えたあと、「10、11」と続けることで、本当は15文しか支払っていないのに、言葉で1文ごまかし、16文払ったように見せかけました。
しかし翌日、単純な弟分がこれを真似しようとして、8つまで数えたところで店主に「今何時か」と尋ねたところ、「4つです」(現在の夜10時頃)と答えられ、「5つ、6つ」と続けて損をするというオチです。

江戸時代の時刻は、1日を夜明けと日暮れを基準に昼と夜に分けて6等分し、その一単位を一刻(いっこく)と呼んでいました。これは「不定時法」と呼ばれ、昼と夜の長さが日によって変わるため、一刻の長さも常に変化する、複雑な時刻制度です。

武士は、現在の午前0時前後の2時間を「子の刻」(ねのこく)、次の2時間を「丑の刻」(うしのこく)といったように十二支で表していました。これは「辰刻法」(しんこくほう)と呼ばれるものです。一方、庶民は、午前0時を9つとし、2時間ごとに8つ、7つと、時刻を数で表していました。9は一桁の数字の中で一番大きな数字で縁起が良いとされていたため、9つから始まっています。

兄貴分はこれを巧みに利用し、勘定をごまかすことに成功しますが、弟分は単純だったため、兄貴分の言葉だけを真似して、肝心の「今が何時か」まで考えが及ばなかったというのがオチ。上方らしい兄弟の掛け合いと、時刻を巧みに勘定に組み込む知恵の面白さが特徴です。のちに三代目「柳家小さん」(やなぎやこさん)によって江戸落語「時そば」として上演され、より広く知られるようになりました。

江戸時代の時刻の表し方
現代の時間 辰刻法 数字を使った表し方
午前0時頃 子の刻 9つ
午前2時頃 丑の刻 8つ
午前4時頃 寅の刻 7つ
午前6時頃 卯の刻 6つ
午前8時頃 辰の刻 5つ
午前10時頃 巳の刻 4つ
正午頃 午の刻 9つ
午後2時頃 未の刻 8つ
午後4時頃 申の刻 7つ
午後6時頃 酉の刻 6つ
午後8時頃 戌の刻 5つ
午後10時頃 亥の刻 4つ

そばが登場する落語

そばが登場する落語

そば清(そばの羽織)

「そば清」(そばせい)は江戸落語の演目のひとつで、「そばの羽織」という題目で演じられることもあります。

大食いで知られる「そば清」こと清兵衛が、20枚、30枚とそばを平らげ、大食い勝負で賭け金を稼いでいました。ある日、50枚の勝負を持ちかけられた清兵衛は自信が揺らぎ、言葉を濁してその場を去り、商用で信州に出向きます。そこで、ウワバミ(大蛇)が猟師を丸呑みにする場面に遭遇。ウワバミが草をなめて腹をしぼませるのを目撃した清兵衛は、草を消化薬と勘違いし持ち帰りました。

江戸に戻った清兵衛は、草を使えば楽勝だと70枚の勝負を申し出ます。50枚まで順調に食べ進めますが、苦しくなって途中で休憩。障子の陰で例の草をなめると、それはなんと人間を溶かす毒草で、清兵衛は消えてしまい、そばだけが羽織を着て残されていたというオチです。

清兵衛が毒草にやられたのは、過剰な欲望と浅はかな発想への罰のようなものとして表現されています。江戸落語らしい笑いと皮肉がセットになった軽妙なオチが人気の演目です。

この噺(はなし)は、三代目「桂三木助」(かつらみきすけ)が「蛇含草」(じゃがんそう)をもとに改作したもので、十代目「金原亭馬生」(きんげんていばしょう)、三代目「古今亭志ん朝」(ここんていしんちょう)らによって演じられてきました。

そばの殿様

「そばの殿様」は、江戸時代を舞台にした滑稽噺です。

若い殿様が親戚の食事の席でそば打ちの実演を見て感動し、自身もそば打ちに挑戦することになります。しかし、料理経験のない殿様が試行錯誤しながら作ったそばは、汗やヨダレが混ざった最悪の出来栄え。それでも家来たちは殿様の前でまずいとは言えず、無理やり食べさせられた結果、全員が腹を壊し、夜通し厠(かわや:便所)に通う羽目になります。

翌日、家来達が青い顔で登城すると、殿様はすでにそばを打って待っていました。「昨日よりも不出来だが食せ」という殿様の言葉に、ついに家来のひとりが「これ以上、上様のおそばを下されるなら、ひと思いに切腹をお申しつけ願いまする」と悲痛な叫びを上げます。これに対し殿様は「食えないとは何事か、手打ちにいたす!」と激怒するオチです。

「手打ち」という言葉の、処罰とそば打ちの二重の意味を巧みに使った、上に立つ者が現場の悲鳴を理解せず、思いつきで行動するという構造を笑いにしたもの。権力者の横暴を笑いに変えた古典落語として知られています。

時そば

「時そば」は、1726年(享保11年)の笑話本「軽口初笑」の「他人は喰より」を原典とする古典落語です。明治時代に三代目柳家小さんが上方落語「時うどん」を江戸落語として改作しました。

大まかな内容は、「時うどん」と同じですが、勘定を巧みにごまかした男を真似るのが、「時うどん」は男の弟分であるのに対し、「時そば」では、男の手口を偶然見ていた見知らぬもうひとりの男という点が大きな違いです。

この噺は、六代目「春風亭柳橋」(しゅんぷうていりゅうきょう)、五代目柳家小さん、五代目古今亭志ん生らの十八番として知られ、そばをすする音の表現や、当時の時刻制度を巧みに活用した滑稽噺として、古典落語の代表作になっています。