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和食店[日本食]事典

和食店[日本食]事典

和食店の有名料理人「笠原将弘氏」吉兆の修行から学んだ稼ぐことの大変さとは?

1972年(昭和47年)東京生まれの和食の料理人で、恵比寿にある『賛否両論』オーナー兼料理人です。日本を代表する料亭「吉兆グループ」の「正月屋吉兆」で修業していました。食育や被災者支援などの社会貢献活動や若い世代への和食の普及にも力を注いでいます。客単価3万円前後の「正月屋吉兆」から1串100円以下の焼き鳥店「とり将」へと移ったときに感じたのは、若い世代と日本料理との距離と100円を稼ぐことの大変さが「賛否両論」につながりました。

「正月屋吉兆」での修業

「正月屋吉兆」での修業

笠原氏は1972年(昭和47年)9月3日東京都で生まれました。実家は武蔵小山の焼き鳥店「とり将」です。高校1年生のときに母親をガンで亡くしたことをきっかけに料理人を目指します。高校卒業後、パティシエの道と悩んだ結果、父親の勧めで「正月屋吉兆」に入社、9年間修業しました。

吉兆グループ

神戸の料理屋「中現長」を経営する家で育った湯木貞一さんが1930年(昭和5年)に大阪市西区新町で開業した「御鯛茶處吉兆」がその始まりです。小さな店舗でありながら、料理の質と店の内装、食器などにもこだわった小料理店でした。1937年(昭和12年)に旧南区島之内畳屋町に移転、2年後には「株式会社吉兆」を設立しました。1948年(昭和23年)に「京都嵐山吉兆」を出店したのを皮切りに「吉兆船場店」、銀座の「吉兆東京店」をオープン。政財界の有力者や外国要人の接待などに使われる日本屈指の老舗懐石料亭です。近年は、ホテルや駅ビルにも出店しています。

「とり将」と「賛否両論」

「正月屋吉兆」入社から数年で料理長に次ぐ2番手の料理人となりましたが、ガンで倒れた父親に代わって「とり将」を切り盛りすることになりました。高級一流店から庶民的な焼き鳥店への転身に戸惑った笠原氏でしたが、吉兆仕込みの腕を発揮し人気店へと成長させました。2004年(平成16年)「とり将」30周年を機に同店を閉店、恵比寿に「賛否両論」を開店しました。気軽に本格的な日本料理が味わえる店として多くの支持を集めています。3人の子宝に恵まれながらも2012年(平成24年)4月にはエリカ夫人もガンで他界してしまいます。早くに両親を亡くした経験から、施設で暮らす子どもやお年寄りに料理を通じて支援したり、新潟中越沖地震の被災者に料理イベントを通じて義援金を送ったりするなど社会貢献活動も精力的に行なっています。

賛否両論

日本屈指の日本料理人となった笠原さんが経営する「賛否両論」は、「賛否両論」恵比寿(本店)、渋谷の「賛否両論MEN'S館」、名古屋のセントラルガーデンにある「賛否両論名古屋」の3店舗を展開しています。和食を避けがちな若者をターゲットにしており、老舗懐石料亭「吉兆グループ」で鍛えられた一流の和食を町の焼き鳥店「とり将」のような気軽さで味わうことができる「飲んで食べても1万円でお釣りがくる本物の日本料理」のお店です。12席のカウンターはモダンな雰囲気漂う深い茶色のゆったりとしたスペースで、一方の個室には日本料理店とは思えない木製のテーブルとスツールが並んでいます。「和食の注文の仕方が分からない」というお客さんでも気をもまなくても良いように、コース1本のみという極めてシンプルなメニュー構成になっています。