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日本のお袋料理の定番、肉じゃが!その発祥はシチューだった?

日本人にとって「肉じゃが」は、お袋の味の代表格。しかし、実はこの肉じゃが、意外にもその発祥は、ヨーロッパで長く愛され、明治の初めに日本に伝わった「シチュー」だというのです。これはいったいどういうことなのでしょうか? 

紀元前の古代ローマから存在していたシチュー

紀元前の古代ローマから存在していたシチュー

一口に「シチュー」といっても、ホワイトシチューやデミグラスソースのビーフシチュー以外に、世界には様々なシチューがあります。それも当然のことで、肉や野菜をとろ火で煮込んだ煮込み料理の総称がシチューなのです。

この煮込み料理のシチューは、紀元前の古代ローマの時代から存在していたと言われています。これもまた、当然と言えば当然で、具材を入れた鍋を火にかけ、ぐつぐつと煮ればシチューになったわけですから、シチューほど古い料理はないとも言われています。

「シチウ(牛と鳥のうまに)」として日本のレストランに登場

このシチューが日本に伝わったのは、明治の初めごろです。1871年(明治4年)に、東京の九段にあった洋食屋「南海亭」に、「シチウ(牛と鳥のうまに)」という品書きがあったことが確認されており、これが日本で最も古いレストランのシチューだと考えられています。そして明治中ごろまでにビーフシチューは多くのレストランのメニューとして登場し、1904年(明治37年)には、旧帝国海軍・軍艦の昼・夕食として、「煮込み」の名でシチューやカレーが出されています。

シチューという呼び名も、当初は様々だったようです。中には、「スティユ」と、ヨーロッパの言葉をそのまま発音したような、ちょっとシャレた感じの呼び名もあったようです。1905年(明治38年)に夏目漱石が発表した『吾輩は猫である』には、「シチュー」として登場しており、このころ、徐々にシチューという呼び名として一般に定着していったようです。

肉じゃがはビーフシチューの失敗作だった?

若いころ、イギリスに留学したときにポーツマスで食べたシチューの味が忘れられずにいたひとりの軍人がいました。明治時代の海軍司令官・東郷平八郎です。どうしてもシチューを食べたくなった平八郎は、あるとき、戦艦の料理長に「ビーフシチューをつくれ」と命じたそうです。

しかし、ビーフシチューを食べたことのない料理長は、平八郎から説明を受けるもののつくり方がわからず、またワインなどの食材や調味料も入手困難。そんな中で、考えに考えてつくったのが、醤油と砂糖で味をつけた煮込み料理だったのです。材料として入れたのは、じゃがいもとにんじん、玉ねぎ、そして牛肉です。これを醤油と砂糖で味付けしたわけですから、当然、ビーフシチューにはならず、結果的にできあがったのが、肉じゃがだったというわけです。

平八郎がこれについてどうコメントしたかは伝わっていませんが、ビーフシチューとしては失敗作のこの料理を食べた水兵たちの間で「これは美味しい」と評判になり、水兵たちによって「甘煮」と名付けられ、それぞれが実家に帰った時に、自分の家庭に伝えたのだと言われています。そして、昭和40年ごろには、肉じゃがという名で家庭料理の定番になっていったのです。