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洋食という食文化

「洋食」と聞いて、どんなイメージが思い浮かぶでしょうか?洋食とは、いわゆる西洋の料理を意味する言葉ですが、西洋料理が欧米諸国の料理を直接指すのに対し、洋食には、「日本で独自に発展した西洋風の料理」という要素が多分に含まれています。その洋食の始まりを紹介しましょう。

洋食の歴史

洋食の歴史

現代を生きる日本人にも親しまれている洋食は、日本史の教科書にも登場する歴史的なエピソードととも深く関わりながら発展してきたようです。

日本初の西洋料理店とは?

そもそも、日本に西洋料理が最初に伝わったのはいつだったのでしょうか? 西洋料理を広義にとらえると、織田信長が活躍した時代に渡来したポルトガル人やスペイン人がもたらした南蛮料理が始まりと言えるようです。

では、日本に西洋料理の専門店が初めて誕生したのは? 「明治時代?」と思う人が多いかもしれませんね。実は、それより少し早い江戸時代末期の1863年のことです。長崎・出島(でじま)のオランダ商館で皿洗いをしながら西洋料理を体得した草野丈吉さんが、長崎に「良林亭(りょうりんてい)」というお店を開店したのが始まりです。

「良林亭(りょうりんてい)」ってどんなお店だった?

このお店には興味深いエピソードがいくつかあります。まず、お店の規模。六畳一間で6人以上はお断りという、非常にこぢんまりとしたお店です。しかも、電話のない時代に「前日まで要予約」という営業方針。当時は、電話どころか、手紙や電報の制度もできる前のことですから、客は、実際に店まで出かけていき、直接、予約をしていたのだとか。気になるのはお値段ですよね。今の金額にして1万3000円ぐらいだったようで、現在の高級フランス料理店とそう変わらない価格設定だったようです。長崎奉行所に勤める高級役人などがこぞって出かけ、外国人の接待にもよく使われて、連日大盛況だったと言われています。その後、「自遊亭」、さらに「自由亭」と名前を変え、1887年(明治20年)まで続きました。現在は、グラバー園内に移築復元されており、その歴史ある西洋建築の建物は喫茶室としても活用されているので、長崎への旅行の際に、ぜひ訪れてみて下さい。

日本における本格的な西洋料理の幕開け

明治に入り、日本に本場仕込みの西洋料理を伝えたのは、外交関係の政治家のハウスコックや、外国航路船のコックでした。

そして、西洋料理が、ごく限られた階層の人たちのためのものから、少しずつ一般へ浸透を始めたのは、1871年~1873年に東京に「精養軒」(現在の「上野精養軒」)、「日清亭」、「海陽亭」などの西洋料理店が開かれてからです。徐々に日本人に知られるようになった西洋料理は、従来の日本の食事である「和食」に対して「洋食」と呼ばれるようになります。しかし一般に知られるようになったとはいえ、明治時代の西洋料理(洋食)は、庶民にとってはまだまだ高嶺の花でした。

西洋料理ではない、日本独自の「洋食」へ

日本に西洋風の料理が本格的に根付くのは、明治の末になってからです。明治期の日本において、西洋料理の食材を完全に揃えることは困難で、しばしば代用品が使われました。それとともに、町のコックたちは、西洋料理を日本人の口に合うように独自に工夫を加えていき、ポークカツレツ、カレーライス、コロッケ、カキフライ、エビフライ、オムライスなど、"日本式西洋料理" を相次いで登場させていったのです。ポークカツレツは、「とんかつ」と名を変え、大正時代には、「カレーライス」「コロッケ」「とんかつライス」が三大洋食として大流行。明治後期から大正期にかけて、これらをメニューとして出す「洋食屋」が次々と誕生していったわけです。

三大洋食「カレーライス」「コロッケ」「とんかつライス」にまつわる興味深い逸話を、別のコンテツンツでそれぞれ紹介しているので、そちらもぜひご一読下さい。