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ファミレス事典

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「丼」は日本伝統のファーストフード!

ある調査によると、ビジネスマンが昼食にかける金額は平均400円前後とのこと。お弁当や社員食堂を利用する人が多いけれど、外食で昼食を摂らなければならない時には丼物を食べることが多いようです。現在私たちのもっとも身近にある丼物は牛丼です。各大手チェーン店がしのぎを削り、「早い、安い、うまい」を追求しつづけていますが、この丼物、すでに江戸時代からファーストフードとして庶民に愛されていたようです。丼物のあれこれを探ってみましょう。

起源はぶっかけ飯

起源はぶっかけ飯

丼物の原型は、主食のご飯におかずを乗せるぶっかけ飯だと言われています。このぶっかけ飯、幕末のころ江戸の深川で獲れたあさりと野菜を煮込んだ汁物をご飯にかけて食べる「深川飯」あたりが始まりとも言われ、その後まもなく、天ぷらをのせた天丼や鰻丼なども登場しています。そもそもご飯をかき込むように食べる丼物は品のない食事とされ、江戸では「慳貪(けんどん)そば切り屋」と呼ばれる大衆食堂が扱っていました。慳貪とはケチという意味で、慳貪そばきり屋で使われていた器が「慳貪振り鉢」と呼ばれるもので、それが後に転じて「どんぶり」になったという説もあります。いずれにしても、せっかちな江戸っ子にこの丼形式の食べ物は支持され、いまに至っています。つまり、庶民の味方のファーストフードとしてのなりたちがいまも受け継がれているということです。

牛鍋から牛丼へ

牛鍋から牛丼へ

肉食が一般化した明治時代、すき焼きの原型である「牛鍋」がさかんに食べられるようになりました。当初牛鍋は、肉の臭みを消すためにこってり味噌ベースの出汁で牛肉を煮込む形式でしたが、やがて但馬牛などの良質な肉牛が使われるようなり、醤油ベースの味付けに変化していったと言われています。それが、現在のすき焼きの原型です。一方、明治の中頃には、牛鍋では使われなかったくず肉を集めて煮込み、ご飯にかけて食べる「牛飯」が登場します。庶民の町として知られる浅草などには、牛飯屋が何軒も立ち並んだとの記録もあり、牛飯の具を卵でとじた「開化丼」なども一斉を風靡しました。そして、大正時代に入ると、現在とほぼ同じ「牛丼」が人気を博すようになります。そして、現在でも牛丼が庶民の強い味方として存在感を示し続けていることは、日本の食文化史の中でも特筆すべき快挙と言えそうです。

外国料理も丼物にアレンジ

外国料理も丼物にアレンジ

日本人が中国料理だと思っている天津飯や中華丼、実は日本生まれの丼物のひとつなんです。また、ご飯の上にハンバーグや目玉焼きを載せたハワイの郷土料理「ロコモコ」も、日系ハワイアンの女性が考案したとの説があります。もしそうならば、ここにも和食の発想が流れていると言えます。最近では、マーボー丼、カレー丼、豚キムチ丼なども人気を集めているようです。このように、和食とは風味を異なる外国料理であっても、やすやすと取り込んでしまう丼物の懐の深さは、白米の力によるところが大きいのです。近年ではパン食が増えて、お米の消費量が減っているとのニュースをよく耳にしますが、どんな食材、料理ともぴったり合ってしまうご飯の威力は止まるところを知りません。白米こそが、COOL JAPANを体現する食材の代表なのかもしれませんね。