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レストラン事典

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日本にイタリア料理ブームを巻き起こした料理人「落合務氏」

1947年(昭和22年)鎌倉出身のイタリア料理人です。「ラ・ベットラ」のオーナーシェフでイタリア料理が日本に普及するきっかけを作りました。フランス料理の修業で入ったレストランで出会った桂洋二郎氏の全面的な支援を受け、1982年(昭和57年)「グラナータ」で本格的なイタリア料理を日本に持ち込み、その後自身のレストラン「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」をオープンしました。

フランス料理修業

フランス料理修業

1947年(昭和22年)鎌倉で生まれ、1歳から東京都足立区に引越し、メッキ工場を経営していた祖父のおかげで裕福な家庭で育ちました。祖父の事業の失敗により生活は一変しました。中学生のときに行った近所の中華そば屋で店主がチャーハンを作る手際に魅せられ料理の道へと進みたいとの気持ちが芽生えました。進学校だった高校を中退し、日本橋のレストランで見習いとして働き始めます。その後、フランス料理店に就職し、フランス料理にのめり込んでいきました。19歳で「ホテルニューオータニ」に入社し、再び皿洗いから仕事を始めました。料理の腕前は磨かれていきましたが、もっと独創性の強い料理を求めるようになりました。

桂洋二郎氏との出会い

「トップス」に移り、同レストランの経営者であり、他にも日本料理店「ざくろ」や高級フランス料理店「シド」を持つ桂洋二郎氏と出逢いました。28歳のときに桂氏の出資で1ヵ月間フランスの三ツ星レストランの食べ歩きをします。ついでに寄ったイタリアで、美的センスもない代わり映えのしない料理に辟易しながらも飽きずに食べられることに驚きました。数ヵ月に一度の特別な料理ではなく「毎日食べても飽きないおいしい料理を作って、食べる喜びを知ってもらいたい」と思い、イタリア料理人への道を歩き始めた瞬間でした。

「グラナータ」から「ラ・ベットラ」へ

1年間のイタリア語学習ののち、桂氏の支援を受けて今度はイタリアでの料理修業が始まりました。住み込み修業しながらローマ、イスキア島、パレルモ、シラクーサ、フィレンツェのレストランを渡り歩き、資金が足らなくなると帰国して再びイタリアに戻る生活を2年8ヵ月間続け、イタリア料理とその背景となる文化を学びました。

1982年(昭和57年)、桂氏が東京・赤坂にオープンした「グラナータ」のシェフに就任。「パスタ」という言葉さえ浸透していなかった時代、閑古鳥が鳴く状態が続いても本物を追求する桂氏に支えられ、落合氏は日本人の好みに迎合することなく本場のイタリア料理を提供し続けました。イタリア政府観光局局長フランチェスコ・ランドウッツィー氏が「グラナータ」のイタリア料理を気に入り、口コミで客足が伸びていきました。1984年(昭和59年)、イタリア料理ブームの波に乗り予約のとれない店へと変貌します。

1997年(平成9年)、桂さんの3回忌を終えて、50歳手前になった落合さんは、高級レストランへと成長した「グラナータ」を離れて、東京銀座に「ラ・ベットラ」をオープンしました。庶民的な価格のイタリア料理の普及をさせたいと考え、当時イタリア料理では珍しかったプリフィックスコースを採用し、リーズナブルなイタリアン・レストランとして話題になりました。

ラ・ベットラ

庶民的な価格で本場のイタリア料理が食べられる店「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」では、夜のコースで前菜、パスタ、メイン、ドルチェを各20種類程の中から選べます。東京銀座の「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」をはじめ、同じく銀座に貸し切りパーティーも行える「ラ・ベットラ・ビス」とドルチェを中心に扱う「ドルチェ・ラ・ベットラ」、池袋の西武池袋本店のレストラン街の「イケブクロ・ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」、レストラン・ウェディングの名古屋市千種区「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ・ナゴヤ」、富山市の「ラ・ベットラ富山」の4店舗を展開しています。