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レストラン事典

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ホテルオークラの初代料理長「小野正吉氏」

1918年(大正7年)神奈川県横浜市出身の料理人で、「ホテルオークラ」初代総料理長です。日本におけるフランス料理の礎を築いたことから「日本のフランス料理の父」と呼ばれています。伝統的フランス料理からヌーベル・キュイジーヌまで、フランス料理を広く日本に持ち込み、今や外国料理の代名詞にまでなったフランス料理の隆盛を築きました。

修行

修行

1918年(大正7年)横浜駅前でレストランを営む家に生まれました。小さいときから料理が好きで、弁当のおかずを毎朝作っていました。高等小学校を卒業し14歳で「東京倶楽部」に就職しました。虎ノ門にあった「東京倶楽部」は小野氏の父の同期、込山弘氏が親方をつとめるレストランでした。石炭運びとストーブの掃除など、調理場での下働きに加え、親方の犬の世話までしていました。家では「若だんな」と呼ばれていた扱いとの差に涙を流す夜が続いたと言います。仕事を早く済ませて調理場の手伝いに回ることで、徐々に仕事を覚えていきました。

サリー・ワイル氏との出会い

1936年(昭和11年)銀座の「ヤマト本館」に入社しました。実家のレストランを急いで継ぐのではなく、もっと料理を勉強したいと思うようになり、19歳のときにサリー・ワイル氏が料理長を務めていた横浜の「ホテルニューグランド」に入社しました。

サリー・ワイル

横浜の「ホテルニューグランド」の初代料理長として来日したスイス人サリー・ワイル氏は、コース料理のみだった日本のホテルのレストランにア・ラ・カルト方式を導入し、自ら客席を回って接客を行ないながらお客さんの要望に応じてどんな料理も作るシェフでした。技を盗むことが一般的だった当時の日本のしきたりを廃して、すべての調理技術を惜しみなく伝えローテンション制ですべてのセクションをこなせるようにしたため、その後日本のフランス料理界をけん引するシェフたちが育ちました。その一人が小野正吉氏であり、他にも「日活国際ホテル」調理長の馬場久氏や「プリンスホテル」総料理長木澤武男氏、「札幌パークホテル」料理長本堂正巳氏らに加え、「帝国ホテル」製菓部長の加藤信氏や「エスワイル」の大谷長吉氏ら多くの菓子職人も輩出しています。

当代一の料理人へ

終戦後、進駐軍の病院勤務なども経験したのち、「ブリヂストンアラスカ」の料理長に就任します。「月瀬コックドール」全司厨長、「日比谷アラスカ」取締役副社長を歴任し、1961年(昭和36年)「大成観光株式会社」(現:株式会社ホテルオークラ)に調理部次長として招かれました。フランスやアメリカのホテルにて研修を受け、1963年(昭和38年)に調理部長、1969年(昭和44年)には取締役調理部長(総料理長)になりました。

1971年(昭和46年)「日本エスコフィエ協会」を創設、日本におけるフランス料理の発展のために人生のすべてを注ぎ込み「日本のフランス料理の父」と呼ばれました。かつて小野氏の指導を受け「ホテルオークラ」第4代総料理長を務める根岸規雄氏もその厳しい指導を受けて実力を伸ばした一人です。120人分のステーキを小野氏の隣で焼いているときに「数が多いからと言って手を抜くなんてことは許されない。1人前のステーキを焼くのと同じ色に焼け」と指導を受けました。料理に関して一切の妥協を許さない姿勢から「フランス料理の鬼」とも称されています。「帝国ホテル」の村上信夫氏と共に、半世紀以上日本のフランス料理の発展に貢献し、1997年(平成9年)3月6日、逝去しました。